スーツケース的ノアの方舟問題

アメリカに戻るまで残り二日なのに、また本を買ってしまった。思い返すと、帰国中に村上春樹の「やがて哀しき外国語」を買ったのが失敗だったと思う。なぜこの本をアマゾンで注文したのか、はっきり覚えていないのだが、恐らくどこかで村上春樹がプリンストンに滞在していた時の記録をこの本に綴っていると小耳に挟んだのだろう。この本を読んだ後に知ったことだが、彼は実に多くの旅行記を残している。ということは、彼は旅行好きなのかと思うかもしれないが、どこかのインタビューで「旅の最終的な目的は出発地に戻ってくることです」という類のことを言っていて、一見するとこれは逆説的に聞こえるかもしれない。しかし、彼はいつもの調子で「旅の醍醐味は、戻ってきたときに出発地が旅に出る前とは違った種類のものになっていることなのです」などとまとめている。少しはぐらかされた気分になるが、だからこそ彼の旅行記は面白いともいえる。目的地にどっぷり浸かることはなく、彼は日々起こったことを飄々と記録しているのだが、さっきみたいな村上節が突如として現れ、「お前はどこに行っても村上春樹のままだな」と笑わせてくれる。なので、これらの旅行記は村上春樹がアクの強い人間だと思ってからでないと、面白くないかもしれない。私は面白いと思ってしまったので、彼の旅行記を結構買い込んでしまった。

そういう意味では、「やがて哀しき外国語」ではもうちょっと踏み込んで、アメリカ社会を日本との比較から捉えようとするところが多く、これはこれで面白い。特に、村上がアメリカに滞在していた当時はリセッションの時期にあり、また日本車バッシングに始まるアンチ・ジャパンの雰囲気があったらしい。さらに湾岸戦争も始まっていた。プリンストンといえども今よりは財政的に豊かではなかった様子が伝わってきて、それを村上は「大学村スノビズム」などど形容している。これらの事実は、今のアメリカと日本の立ち位置を考えると、ちょっと隔世の感があり、村上自身はそういったことは言っていないけれど、この雰囲気で暮らしてたら、そりゃ日本にも帰りたくなるわな、という同情心も湧いてくる。ちなみに、スノビズムなのかは別として、プリンストンを大学村と描写したのは、ナイスだと思う。まさにプリンストンは大学村だからだ。

そんなこんなで、小説やら、新書やら、学術書やら、40~50冊の本を買ってしまった。もし大きなスーツケースを持っていったのなら、チャレンジしてアメリカに持って行こうと思ったのかもしれないが(それでも、預入荷物は重量制限があるので全部は無理だろう)、今回は諸般の事情で機内持ち込みが可能な小さめのスーツケースとバックパックしか持っていないので、厳選に厳選を重ねなくてはいけない。困ったことに、スーツケースには「服」やら「下着」やら、社会の中で生きていくために最低限必要な衣類を入れなくてはいけない。最悪、入れなくてもいいのだが、そうなるとプリンストンで着るものがなくなる、あるいは改めて何か買わなくてはいけなくなる。これは結構悩むところで、特に靴下なんかは、もう現地で手に入れちゃう方がいいんじゃないの?と思ってしまう。その代わりに、現地で手に入るもので代替することができない日本語の本を優先的に入れるのがよいのではないかと。

今回は服は諦めようかと傾いてきたところで、そもそも服と本、スーツケースの中ではどちらがより大切なのか、そもそもこの問い自体が変な気がしてくる。服は服、本は本で必要で、両者の重要性を比較することは無意味なのではないか。しかし、スーツケースの容量は変えることができないので、やはり今回は思い切った判断をすべきではないのか。ちょっとしたノアの方舟的問題を、残り二日考えることになるだろう。