先日まで、2泊3日の日程で台北に行っていた。私は基本的に学会などの帰りに簡単に観光をするくらいなのだが、あいにく台湾というのは、昨今の地政学的事情を反映してか、学会が開かれない。そういうこともあり、台湾に行く機会がなかったのだが、今回、年末にふとしたきっかけで先輩二人と台北に旅行することになった。
台北で買い物と食事を存分に楽しんだ後、帰りの飛行機で、私は来年度の就職先を決めた。人生における重要な決断というのは、嵐が過ぎ去ったあとの、ふとした瞬間に、直感的に決めることが多い。今回もそれだった。
もっとも、この決断に至るまでに数カ月を要した。ここまで悩んだのはなぜかといえば、3つの大学からオファーをもらったからだった。世界的にアカデミアにおける就活が厳しくなっていることを考えると、幸運に恵まれたといえる。
以下は、どのように就職先を決めたのか、その過程のメモである。
まず、個人的に一番大切だと考えたのは、就職先に対して、ポジティブな意味を見出せるかだった。
アメリカのアカデミアは以前のような隆盛を失いつつあるとはいえ、博士号を取ったプリンストン大学、あるいはポスドクをしたハーバード大学が世界的な研究の中心地であることには変わりない。幸いなことにそのような環境に身を置けた私からすると、最初の就職先は、多かれ少なかれこうした大学よりも「何かがない」ように感じてしまうところがあった。
このような思考に囚われていた私は、どうしてもプリンストンやハーバードにいた時とどれくらい似たような環境で研究できるかを考えていた。
後になって、この手の考え方は、社会科学でいう「欠如理論」、すなわちこれまでの「理論」が前提にしてきたような欧米社会をレファレンスとして、日本や東アジアの社会に欧米で見られるものがないのはなぜなのか、と考える傾向と似ていることに気づいた。
こうした欠如理論に対しては、むしろ日本にある特徴がなぜ欧米にないのか、という逆欠如理論ともいえるアプローチが提示されている。今回、就職先を選ぶに当たって、私も少し似たような考えをすることにした。すなわち、当該の大学が持つユニークな価値を積極的に評価していく、ということである。新しい職場でしかできないこと、そこに何かポジティブな意味を見出すことができれば、「AよりはB」という相対的な視点ではなく、より前向きに、移動する先を選べるのではないかと考えたのである。
もちろん、世界のトップ大学が典型的に持っているような特徴は存在し、それが新しい職場にないことで、自身の研究が何らかの影響を受けることはあるだろう。それらは具体的には、大学の評判・評価、より単純に言えば「名前が知られているか」といったものから、自身の研究テーマに近いセンターの存在、研究をサポートしてくれる環境、質の高い博士課程プログラムが存在するか、などである。このようなスタンダードなセットの有無は大学選びの際に非常に重要だが、それらはあくまで補足的なもので、個人的により高次にある価値は「そこに行きたい強い動機」の存在だと考えている。
なお、今回の決断に際して、大学や学部の魅力それ自体よりも、移動先の生活環境も考慮に入れる必要があった。新しい職場は、研究をする場所であると同時に、生活をする場所であるため、住み心地の良い場所を選ぶことも大切だからだ。具体的に考慮に入れたのは、気候から政治的な安定性、アメリカまでの距離、あるいは関連するものとして給料や住宅補助などである。テニュアトラックのジョブについては、テニュアを取るための審査基準がリーズナブルなのかも重要だった。
最後に、オファーをくれた大学が、自分をどのような研究者と考えていて、どのような役割を期待しているかも真剣に考慮した。これは私の好みの問題だと思うが、短くない時間をその大学で過ごすのであれば、自分を一番欲しい、必要としているところで研究者としてのキャリアを歩みたいと考えている。就職先を考えるなかで次第に思ったことは、「なぜその人が欲しいか」という動機が存在するためには、その大学や学部に、こういう研究者を取りたいという、しっかりとしたアジェンダが必要なのではないかという点だった。
これからお世話になる大学が、将来的にどのようになっていたいと考えているのか、そうした「プロジェクト」の有無は、個人的に気になるところである。もちろん、そんなアジェンダはない、というのも一つのアジェンダかと思うが、そういう職場は教員同士の研究もそこまで関係せず、個々の研究者が好きなことをするといった形になるのかもしれない。それも一つのスタイルだとは思うが、私個人としては、アジェンダの有無はその大学/学部が持つユニークな強みに繋がっていくと考えている。
以上を踏まえたうえで、今回はシンガポールの大学を選ぶことにした。シンガポールの大学を選んだ決め手は、(1)「自分を必要としている」と強く感じたこと、(2)私の研究を進めるために十分なサポートを約束してくれたこと、(3)テニュア審査基準が納得のいくものであること、そして(4)シンガポールという東南アジアにある、多様な社会に身を置くことを魅力的であると考えたからである。
(1)と(2)は関連しており、そもそも自分という研究者を評価してくれるから大学はオファーをくれるわけだが、その上でどのようなサポートをしてくれるかも、私に対する評価として考えた。もちろん、大学の制度上、なかなか目に見える形で評価を示すことが難しい場合もあるため、その点については今後の改善を期待したい。
(3)については、シンガポールの大学は私がすでに出版している研究もテニュア評価にカウントしてくれることが大きかった。今回、香港の大学も選択肢にあったのだが、その大学では、働き始めてから6年間の業績しかカウントされないのが、難しいところだった。また、香港の場合、香港政府が出しているグラントを獲得することがテニュアの必要条件だったことも、判断に影響した。
(4)については、まずジョブトークの際にシンガポールを訪れて、60年ほど前に人口200万人の状態で、特に目立った産業がないシンガポールが、世界的もっとも豊かな国の一つになったことを率直に不思議に感じた。また、その背景にあるメリトクラティックな選抜制度の功罪を考えることに興味をそそられた。さらにいえば、私自身「アジアの人口学」をやっていると標榜しながら、実質的に扱うのは(少子化が激しいということもあるが)「東アジアの人口学」だったことに、どこか居心地の悪さを感じていた。シンガポールに身を置くことで、これまで殆ど知らなかった東南アジアについて見聞を深め、今後進めたいと考えている比較人口学的な研究に活かしていきたいと思うようになった。香港も多様な社会だが、趨勢的にはますます中国化が進んでいるため、研究者や学生の研究関心も、中国社会が中心になっている点は、多様性という意味ではシンガポールに分があると判断する根拠となった。
実は、複数のシニアの教員からは、シンガポールよりも香港の大学を勧められることが多かった。香港の大学のほうが世界的に知られていることも理由にはあるが、それに伴って在籍する教員の研究の質や、複数存在するセンターによって可能になるネットワーキングの魅力を過小評価してはいけないというアドバイスだった。これは非常にもっともな視点である。というか、シニアの研究者は往々にして「もっともな」ことしか言わない。
また、シニアの研究者が原則として共有してくれるのは、10年後になりたい研究者を想像して、それになるために一番近い道は何かを考える、というアドバイスである。これは本当にそのとおりだと思う一方で、このご時世、10年後の自分、というより10年後の世界がどうなっているのか、想像することはますます難しくなっているのも事実である。10年後のなりたい自分に縛られるよりも、今の自分が一番正しいと思った選択をしたいと考えるようになった。
今回の決断が正しい選択だったのかは、まだよくわからない。これからも折に触れて、間違った選択をしたのかもしれないと考えることはあるだろう。10年後になっても、今回の決断の正しさは判断できない気がしている。それでも、今回の決断はこの2ヶ月の間、各大学の関係者、シニアの研究者、アカデミアに身を置く同僚、個人的に親しくしている友人・知人、本当に多くの人と話して決めたことである。現時点の自分ができる、納得の行く判断ができたのではないかと考えている。