アメリカの地に根を張る

在宅ワークになって2週間目、春学期の授業が再開して1週間目が終わろうとしている。その間も、本を取りに行ったり印刷したりで大学に行くことはあったが、今週に限っては一度しか行かなかった。スタンディングデスクも購入し(座っているが)、ベッドとの位置を変えて窓の近くにデスクを置き直すことで、陽の光を浴びながら作業できるようにしたり、在宅研究環境も改善させている。思った以上に在宅での作業はストレスが少なく、オンラインの授業も非常に快適に参加できており、意外と自分には在宅が向いているのかもしれないと思い直している。恐らく、自分は一つの場所で作業をしたい人間で、それがオフィスだろうが、家だろうが、作業できる環境が整えばどちらでもいいのかもしれない。

20日のNYSのクオモ知事によるcurfew like policyの政令が発布された次の日、つまりちょうど先週の土曜に、NJ知事のマーフィーも似たような外出抑制命令を出した。当時の私はコロナの件でやや混乱していて、いよいよオフィスにも入れないことがわかってくると、NJに居座る必要もないのだから、違うところにリトリートしてもいいのではないかと考え始めた。しかし同じタイミングで、今学期履修している疫学の授業の先生が、コロナに関するいくつかの解説記事や、疫学者によるブログをシェアしてくれた。これを注意深く、恐らく3月20日の金曜日に1日かけて精読した結果、専門的な部分はわからなくとも、今回なぜここまでウィルスが拡大したのか、social distancingの理論的な根拠は何か、おおよそどれくらいの工程で、徐々に元の生活に戻るのかが、なんとなくだがイメージできた。そうなると不思議と過度に悲観的になる必要もなく、楽観的になる必要もなく、今できることを大人しくやろう、と考えられるようになった。春休みの1週間は正直これから何が起こるのかが予測できる不安だったが、それ以降今住んでいる家に残って生活することを考え始めた。

それから数日経って、日本政府がアメリカからの入国者についても、2週間の待機を要請することになったという報道を目にした。タイムリミットは日本時間の26日で、一瞬帰国を考えた。しかし、今学期履修している授業のうち二つが午後のため、日本に帰ると深夜に授業を受ける羽目になること、および実家に高齢の祖母がいること、これらが頭をよぎって、帰国については早々に諦めた。実際には、午後の授業のうち一つは履修者の一人が香港に帰国したため、全員が参加しやすい時間に変更することになった。どちらの授業も少人数であったことを考えると、もしかすると融通はきいたのかもしれないが、その頃には在宅研究環境も整えつつあり、家族に次いつ会うことができるのかがわからない一点を除けば(そして、家族のことを考えると帰国しないほうが賢明だろうという判断になる、これが今回のコロナの酷い点だ)帰国したい理由もなかったので、後悔はしていない。

先ほど少し述べたが、想像以上に在宅ワークはストレスがなく、それなりに楽しく過ごせている。確かに人と会わなくなった部分は寂しさを感じるが、幸い平日は毎日のように授業があるため、画面越しに指導教員や友人と話すことができ、孤独感はない。また、店内飲食が禁じられた影響で大きな打撃を受けている地元の飲食店は、あの手この手でこの苦境によるダメージを少しでも緩めようと、様々な努力をしている。これが幸いして、普段会えなかったような人と話すことができたのは、予想外の発見だった。贔屓にしているコーヒー店はオンラインでオーダーを受け付けており、火曜と金曜のそれぞれ正午から3時までの3時間、ピックアップを受け付けている。しばらく前にそこで買った豆がちょうど切れたところだったので、昨日店を訪れたのだが、そこにいたのは初老の男性で、店のオーナーとのことだった。私はその瞬間、従業員は恐らくレイオフされ、人件費を抑えるためにオーナー自ら店に出てきたことを悟り、しばらく適当な言葉が思いつかなかったのだが、オーダー番号を見て豆を渡してくれた後に、私の名前を見た彼の方から、日本の人?と聞いてきてくれた。なんでも、ソニーで役員まで勤めたことがあり、日本にも4年ほど住んでいたという。後で調べると、その人はギタリストから法律家になり、ソニーミュージックでエンジニア、最後に副社長まで勤めたという、非常にユニークな経歴の持ち主だった事がわかった。店でそのオーナーを見たことは一度もなかったので、彼と出会えたのはコロナがもたらしてくれた数少ない幸運の一つだったかもしれない。

日本が懐かしくなることはしょっちゅうで、特に次いつ帰国できるのかが非常に不透明な現在のような状況だと、帰りたいと思った瞬間に暗い気分になることも事実である。その一方で、紆余曲折ありながらもプリンストンというところに移り住んだ私は、これから少なくとも4-5年はこの小さな大学街に住むことになる(かもしれないし、途中で飽きて近くの都市に移るかもしれないが)。その後もずっとアメリカに住みたいと考えている自分には、もはやアメリカが生活の拠点であって、日本は母国でありながらも、すでに生活をする場所という意識は薄らぎつつある。

今回の件で、グローバル化に伴って国境の重要性が失われるという主張へのバックラッシュめいたものが出てきているが(とはいえ、そのバックラッシュはコロナ以前にもちらほら見られたものではある)、私も改めて国家や州政府といった行政による権力を目の当たりにしている。もちろん、平常時に戻れば以前のように簡単に帰国する事ができるだろう ––出発2週間前に航空券予約サイトを見て、直行便は高いからシカゴ経由で今回は行こうか、などといった風に––。しかしそれは、国の境目をまたぐ行為が国家によって意図的に緩められている上で享受できる、条件付きの自由なのだろう。私たちが当たり前だと思っていた移動や集会の自由は、国家の危機という正義の前では、意外と脆く崩れていく。

頭の中で漠然と考えていた「アメリカの地に根を張る」という選択は、意外と大きな覚悟を要求するのかもしれない。